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島びと見聞録

神津島漁業協同組合 水産研究会会長
石田 浩敏(昭和35年生まれ)

漁師たちの有志が集まり、水産資源の研究や新たな取り組みに挑戦する水産研究会。「会長なんて名前だけ」と笑う石田会長ですが、神津島の歴史と共に様々な漁法に取り組んできた経験は、研究会の活動にも活かされています。

18歳で漁師になって、180度考え方が切り替わった

船の『永社丸』っていう名前は、家で守っている神社、永社大明神から付けられた名前。代々漁師の家の生まれで、船を持ってたから、「漁師になるしかない」世界だったね。今のように個人の船がいっぱいあった時代じゃなかったのよ。だけん「船を買う」っていうことは重大なことだった。キンチャの本船の一杯だったから、まさか長男の俺がそこから抜けるなんてできなかった。
でも、子どもの頃は漁師になりたくなくてね。当時の同級生に会うと「え?なんで神津島にいるの?」って言われるよ。俺が漁師になるとは思ってなかったんだろうな。「卒業したら漁師になるから、高校3年間遊ばせて」って親に頼んで進学したのよ。
18歳で漁師になって、それまでとは180度考え方が切り替わった。それまではたまに漁に連れてってもらった時、船の上で寝ることもあったのよ。だけんど、仕事として乗った1日目から、いくら酔っても横になることはなくなったね。

最初は血を吐きながら

漁師っていうのは手取り足取り教えてもらったりせんからね、自分で見て覚えろの世界。親父もくだらないことはよく喋るけど仕事となると無口だったから、「何も指導しないくせに」と喧嘩したこともあったね。
船酔いがひどくて、最初の頃は血も吐いてた。3ヶ月くらいは昼飯をとうとう1回も食わなかったな、具合悪くて。夏になってキンチャが始まって、ようやく慣れていったの。泳ぐと治るから、よく海に飛び込んで。今でも10日船に乗らないと酔うよ。
冬の荒天時は頭の上より高い波が追ってくるからな、初心者は気をつけてないと船からほっぽり出されちゃうくらい
早起きも辛くてね。夜中に出航するキンメ漁はやりたくなかったなぁ。21時頃寝て0時半頃起きて。目が冴えちゃって、熟睡できるのは3時間くらい。でも、昔と違って昼間は漁に出ないから、そんなに疲れないよ。

海の世界は厳しい

キンメ漁を本格的にやるようになったのはここ7年くらい。それまでは、なるべく手を付けたくなかったね。キンメが最後の砦、このキンメがいなくなるとやることなくなっちゃうと思ってたから。
昔やってたのは、夜釣り、突きん棒、イカ釣り、キンチャ。夜釣りではムツやメダイを捕ってたけど、昔と比べたら今はメダイなんか二束三文。値段も下がったし、魚の量も減ったね。アオダイ、ヒメダイ、ハマダイなんて魚種があることを知らない人もいる。魚の価格はかなり下落したね。浮き沈みが激しい、厳しい世界なのよ。

経験と勘が釣果を左右する

今は兄貴と一緒に漁をしてる。兄貴は中学出てすぐ漁師になってうちの船に乗ってたのよ。俺が漁師になった時からいたけえ、もう33年くらい一緒にやってるかな。お互いやり方がわかってるから楽だね。
船によってだいぶ稼ぎは違うね。同じ商売してたってけっこう差が開くこともあるのよ。上手な人はやっぱり上手。この差はやっぱり経験と勘かな。例えば同じ魚探の反応を見ても、船をどこに据えるかによって魚が餌を食うか食わないか変わってくるからな。微妙な加減だけど、やっているうちにだんだん慣れてわかってくる。ごっそり捕れた時は嬉しいよ、そりゃ。

30人も会員がいるのは神津島だけ

水産研究会では、アオリイカの三角漁礁を入れたり、サザエやアワビの稚貝の放流をしたり・・・稚貝が減っているって調査結果が出てるけえ、育てないとな。
天草や海藻類を生やすために投石したところへのスポアバッグの設置もそう。スポアバックっていうのは錘をつけた網の中に天草とか海藻類を入れて、種がそこらに付着するようにするもの。海藻類を増やすためのもんだな。
会長って言っても名前ばっかりで雑用係みたいなもんだけど、そういう取り組みや新しい試みの段取りを取ることが仕事。会員数は30人くらい。これだけの規模でやってるのは神津島だけよ。バカが多いのよ、神津島は(笑)生簀もやってるんだけど、去年は若い奴が稚魚を泳がせて餌をやって、ある程度でかくなったってね。20~30代が多いのもこの島の特徴だね。
人それぞれだから一概には言えないけど、神津島の漁師は自分を持っている人が多い。面白い島だよ。



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